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斉藤ひろし 『脱力日記』

映画脚本家 斉藤ひろしのブログ, 主に愚痴と雑談

胡蝶の夢

今日は鎌倉へカミサンの墓参りに行ってきた。


江ノ電


墓を拭いていると足元で何かがひらひらしている。

シジミ蝶だった。


シジミ


花の香りに誘われて来たな……

でも、シジミは「花が目当てじゃないよ」と言わんばかりに墓石にとまって羽を開いたり閉じたりしている。

墓石に溶け込むシジミ


やがて、供えた花から美味そうに蜜を吸い始めた。


蜜を美味しそうに吸うシジミ



たまにブログを覗いてくれる近しい人たちが、

「ずいぶん気楽に楽しくやっているじゃないか。うらやましいよ」

と言ってくる。



勝手気ままに、やっていますよ。



シジミを見ていて『胡蝶の夢』という中国の故事を思い出した。

紀元前4世紀、宋国に生まれた思想家・荘周(荘子)の話だ。



むかし、荘周が蝶になった夢を見た。

とても楽しくて、思いのままにひらひらと飛んで、 自分が荘周だということを忘れていた。

そして、ふと目覚めると、キョロキョロしてびっくりしている自分がいた。

いったい、荘周が夢の中で蝶になったのか、蝶が夢の中で荘周になったのか、なにがなんだかさっぱり分からなくなっている。

そもそも、荘周と蝶ははっきり区別があるはずだ。それが、どうも区別ができないというのである。


――これが、『胡蝶の夢』というお話。




この荘周という人物については、別の逸話がある――



荘周の妻が死んだので友達の恵子(けいし)がおとむらいに来た。

見ると、荘周は両足を投げ出して座り、酒壷を叩きながら歌っていた。

「奥さんが死んで泣かないのはまだしも、酒壷を叩いて歌うとは」と恵子が呆れると、

荘周は言った。

「天地が分かれてこの世が出来て、初めての死というのなら私だって感ずるところがある。
 
 だが、元来は生命もなく、形もなく、そのもとになる『気』もなかった。
 
 ぼんやりとした混沌の中で混じりあっている内に『気』が生じ、
 
 それが形に、そして生命になったのだ。四季の変化と同じじゃないか。
 
 妻は、また元に戻って天地という巨大な部屋の中で眠っているのさ」







  1. 2010/10/16(土) 20:25:40|
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